2017年05月20日

がんの当事者の方やそのご家族、ご遺族の方のための心のサポートの会「がんカフェ」〜急きょ、来週だった予定が今日20日に開催日が変更になりました。

ある病院の緩和ケア病棟(ホスピス)



医師、看護師、音楽療法士などが中心になって

がんの当事者の方、ご家族、ご遺族のために、

悩みや不安を語らう場を提供し、サポートする会である

『がんカフェ スマイルケア』

2011年に立ち上げられて

この会の代表が、

かつて僕が精神科臨床現場で働いていたとき

音楽療法などの担当をしていたときに

パートナーとして共に創ってくれた

長年の友人だったこともあり、

僕はその病院の職員ではないのですが

立ち上げ時から声をかけてもらって、

僕は、第1回開催から、

音種♪や個人臨床依頼など先約が重ならないかぎり

みなさんの心の声をお聴きする

がんカフェのサポートスタッフとして、

参加者の皆さんの語りを

お聴きしています。

今月は、27日開催と聞いていたのですが

急きょ、諸事情で

今日20日13時30分からの開催に変更になったと連絡がありました。

がんの患者さんである当事者の方。。

がんの当事者を支えているご家族。。

そして、がんでご家族を亡くしたご遺族。。



”病気のこと”、

”辛くて悩んでいること”

”将来の不安”

”看病が大変なこと”

”最愛の家族を亡くしたこと”

などなど。。

色々な悩みや思い、

その他、どんなことでも

お茶を飲みながら自由に語り合えます。

心に寄り添う温かい仲間のスタッフが

笑顔でお迎えします。

予約不要で、参加費も無料です。

毎回、初めに30分くらい

多様なテーマや視点や分野の

ミニレクチャーを行っています。

今日のテーマは、

『こころのケア』

です。


皆さんの心に、

温かな感覚と

ささやかにでも照らしだす光が
生まれますように。。祈ります。
posted by こころなび at 11:59| 東京 ☀| Comment(0) | こころの臨床 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月15日

戦わないこと。。自分の意図を越えて幸せが生まれること。。

5年以上前にも一部書いたことですが

少し今の自分の言葉にして。。もう一度、書き残したいと想います。。


誰も戦いたくないのに、戦っている

戦いをやめられなくなっている

普通に生きていると、戦いこそが日常。。

他の人と戦い
お客さんと戦い
仕事と戦い
仲間同士で戦い
お金と戦い
時間と戦い
世の中の動きと戦い

そして自分自身と戦っている

こんなに戦っていて、しあわせになれるはずがない

この戦いを一つ一つなくすこと


人はいつのまにか
何とそんなに戦っているんだろうか?

きみは
何をそんなに戦っていますか?


そんな素朴な問いかけが生まれたりした。。


ある戦場カメラマンがこんなふうに
言っていた。。


戦場カメラマンとして
自分がプロとして食べていくために
写真を撮っていると
1枚1枚は流れていく

それが直接、何かの、誰かのためになっているかどうかなんて知らないし、
わからなかった。


だけど
自分が戦場で撮った、
子供の、ある1枚の写真が
ある外国の女性の目にとまり
その戦場の子供を引き取ることになった。

その時に
自分の1枚の写真が
ひとりの少女の人生やいのちに
自分が意図したわけでもなく
直接関わらずとも
誰かの良い影響や役に立つことや助けになることがあるということを知らされ

それから
写真へ込める想いが変わった

とおっしゃっていた。


僕も

こころの臨床を頼まれて
話に耳を傾け、言葉や雰囲気やイメージを返すとき

音種♪やライブサポートなどで
音を紡ぎ添えるとき


何か同じような面がある気がする


目の前に分かることのみではなく

その音や言葉が

自分の意図を越えて
ひとりだけでも
知らないところで
ひとつの音や言葉が幸せにつながるかもしれないこと

を想像しながら届ける


象徴的な事柄が

ホスピスや緩和ケア病棟でのライブにある。。


ほとんどの人たちは
目の前に見える患者さんの反応にとらわれ易い。
そこで一喜一憂されることが多い

でも、ご本人やご家族の心の中で
音楽に響き合ってくださって
心の中で生まれている何か。。

それは、その場では、目に見えるかたちで表現されなかったり

あとで、熟成されて、気づかれたりすることもある。。

また。。

現場では、会場に姿を見せることはできず
自分の病室にいらっしゃる患者さんもいる。。

音や雰囲気だけは
病室へ流れていき
聴いていらっしゃる場合もある。

それは
音楽を届ける側には見えず
また
何を感じられたかも
知ることもないこともある。

でも
それは、とても意味あることだったりする。。


だから

音に。。ただただ心を込める。。

音を。。大事に紡ぐ。。

音が。。自分の知らないところでいいから、幸せにつながるように。。

音は祈り。。
posted by こころなび at 03:20| 東京 🌁| Comment(0) | こころの臨床 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

心の葛藤は人間らしさ〜僕のこころの臨床論

これは、僕が師事した臨床心理の恩師から
カウンセリングや心理療法を学んだり、
教育分析という訓練やスーパーバイズの指導を受けたことや
精神科病院や福祉施設、個人面接での
多くの患者さんやクライアントさんと出会い、教えてもらった
あくまで個人的な経験からの私論なので
他にいろんな見方があることを前置きした上で、
人間らしさのある心の健康のイメージについて
書いてみたい。

音楽以外のことも。。たまには。。ね

人の人間的な心が健康な状態ってどんな感じかというと、
その人の心にたったひとつだけじゃなくて
一見自分でも矛盾したり
相反したようないろんな心があること、
つまり葛藤や迷いをもっていて、手探りでありながら
それをなんとか工夫しながらや知恵を生み出しながら
ちゃんとその葛藤や迷いを抱えていられて
悩みながらも日々試行錯誤しながら生きている…それは心の機能がちゃんと働いているってことなんだよね。

゛悩みの種゛そのもの懸命に生きているからこそあるわけで、
その存在そのものが問題なのではなく、
(それによって成長させられることもあるしね)
それをどう抱えて、どう付き合い、共に生きるか。。それが問題なんだよね。
それはひとりひとりちがう。
しかも唯一の答えはなくて、
そのひとなりに合った共存のさせ方、それが、
”生き様”といわれるものなんだろうけど
それをどんなふうに創って生きるか。。
誰かに助けられ支えられながらも。

言葉でどこまで伝わるか分からないけど。

僕も昔はそうだったんだけど、
人ってどこかなんにも動じない、
悩みも葛藤も迷いもいっさいなくなって
完璧な人だったり、
悟りをひらいた心に憧れたりして、
時にそれが究極の心の到達点に想いしがちだし、そう世間でも言われている

でも…

たとえば極端な例をいうと、

凶悪犯罪や連続殺人をする人たちの
犯罪心理学や心理的分析をした文献や論文をみたりすると、
その人の心に葛藤や迷いがない。。
たったひとつの確信をもって、悟ってしまった精神状態だったりする。
いろんな複雑な想いがそこには存在していない。
ためらいがないというか、たったひとつの完全な世界、物語で
心が出来上がってしまっている。

だから犯罪を犯すとき一線をあっさりと越えてしまうんですよね。

そこに正反対の心やさまざまな心が存在し葛藤があったりすれば
自分の中でせめぎ合い、迷いが生まれる。。
他の人の言葉で気づいたり、修正したりできる。。

また、精神科の心の病気っていろいろあるんだけど
急性期で発病したてだったり
重症な状態の場合、やはり悟ってしまった感じや
誰が何を言っても、全く受けつける余地がない
確信的な心でかたくな雰囲気だったりします。
たとえば、私は神だと主張してやまない患者さんとかね、いらっしゃったり。。
妄想が激しいとき、躁状態が強いときは
誰が何を言っても全くコミュニケーションが成り立たなくて
まるで、ブレーキが効かない車のように
自己コントロールも、周りからの静止も
一方通行で効かない状態だったりします。

よく考えてみるとね、自分に悩みや迷いが全くなかったり、
葛藤がなくていつもすっきりしてて
365日ずーと幸せな感覚ばかりだったり
すべてが完璧で悟ってしまったら
もう自己完結しているから、
他者の存在って必要なくなってしまうし
つながって交流したり触れ合ったり支え合ったりする必要もないものね(^_^;)

それに人の痛みや悩みや葛藤も分からなくなるし、感じられなくなる。。

あるお寺の住職の方が教えてくれたんだけど、
そもそも仏教で言う『無』や『空』って
一般に誤解されていて、
なんにもない状態や、完全な状態だったり、自分をなくすことじゃなくて
かぎりなく゛0.0001・・・みたいに存在する状態らしいんです。
つまりたとえていうなら、
科学でいうと、
原子のことをいうらしいんですよ。
分解して分解していって
もうこれ以上分けられないものや状態だそうです。

それは、自分の心の原点、ルーツを感じられることだそうです。

つまり、自分らしさの心のコアみたいなところ
それを、「たましい」や「いのち」と表現する人がいるんだと思いますが
それを感じれること。。
それが本来の意味だとおっしゃっているように
ぼくには感じられました。

僕は
そのひとつひとつのさまざまないくつもの原子が集まって心が構成されていて
それの構成の仕方にひとりひとりの個性があるんだなあって感じています。

だからね、悩みや迷い、劣等感や弱さや葛藤があって
自分の中にいろんな心が存在してること
(中には自分でも認めたくない部分も含めてね)
そのものは、
人間的で心が健康な証拠なんだよってことになるんだよね(^_^)

だから、僕は、なんでもパーフェクトな人よりも
弱さもあって葛藤があって悩みながらも
精一杯生きている。。そういう人の方が人間らしくて
ほっとするし、好きです。

ただ心の健康が良くない状態になると
そのひとつひとつの心のバランスが崩れて
混乱して収集つかない状態が続いていてたり、
その時期の自分の傾向に合わないような状態に無理やりしたり
葛藤を抱えていけないくらい
何かに追い詰められたりしているとき
症状というかたちで
SOSのサインを無意識レベルで知らせようとしてくれる
機能なんですよね。

だから自分のもうひとりの無意識の内にある
心の声に耳を傾けてあげる必要があるんですよね。

精神症状の多くは、
見た目や現れかたは千差万別でバラエティに富んでるけど
元々の自分に合わない生活スタイルの環境にずっと長いあいだ無理やり身を置いたり、
自分に合わない生き方を突き進んだりしているとき
これ以上続けると限界を越えるから
気づいて見直してほしいときの内なる自分の手紙みたいなものだと理解してみると
方向性がみえやすいんですよね(^_^)♭

だからね、僕の個人的な経験のなかでは
紆余曲折いろんな問題はありながらも
生活環境の調整だけでも
かなり精神症状や心の状態が回復した人が
多くいらっしゃいました。

必ずしも心理療法やカウセリングで直接心を扱わなくても。

自由連想風になったけど
もしかしたら矛盾してきこえるかもしれないけれど
葛藤や迷いや悩みを抱えながら
試行錯誤しながら生きていることは
人間の心が健康な証拠で、
またそれが僕には豊かな人間性の可能性にも
つながっている気がしています。
posted by こころなび at 02:35| 東京 🌁| Comment(0) | こころの臨床 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする