2016年07月15日

戦わないこと。。自分の意図を越えて幸せが生まれること。。

5年以上前にも一部書いたことですが

少し今の自分の言葉にして。。もう一度、書き残したいと想います。。


誰も戦いたくないのに、戦っている

戦いをやめられなくなっている

普通に生きていると、戦いこそが日常。。

他の人と戦い
お客さんと戦い
仕事と戦い
仲間同士で戦い
お金と戦い
時間と戦い
世の中の動きと戦い

そして自分自身と戦っている

こんなに戦っていて、しあわせになれるはずがない

この戦いを一つ一つなくすこと


人はいつのまにか
何とそんなに戦っているんだろうか?

きみは
何をそんなに戦っていますか?


そんな素朴な問いかけが生まれたりした。。


ある戦場カメラマンがこんなふうに
言っていた。。


戦場カメラマンとして
自分がプロとして食べていくために
写真を撮っていると
1枚1枚は流れていく

それが直接、何かの、誰かのためになっているかどうかなんて知らないし、
わからなかった。


だけど
自分が戦場で撮った、
子供の、ある1枚の写真が
ある外国の女性の目にとまり
その戦場の子供を引き取ることになった。

その時に
自分の1枚の写真が
ひとりの少女の人生やいのちに
自分が意図したわけでもなく
直接関わらずとも
誰かの良い影響や役に立つことや助けになることがあるということを知らされ

それから
写真へ込める想いが変わった

とおっしゃっていた。


僕も

こころの臨床を頼まれて
話に耳を傾け、言葉や雰囲気やイメージを返すとき

音種♪やライブサポートなどで
音を紡ぎ添えるとき


何か同じような面がある気がする


目の前に分かることのみではなく

その音や言葉が

自分の意図を越えて
ひとりだけでも
知らないところで
ひとつの音や言葉が幸せにつながるかもしれないこと

を想像しながら届ける


象徴的な事柄が

ホスピスや緩和ケア病棟でのライブにある。。


ほとんどの人たちは
目の前に見える患者さんの反応にとらわれ易い。
そこで一喜一憂されることが多い

でも、ご本人やご家族の心の中で
音楽に響き合ってくださって
心の中で生まれている何か。。

それは、その場では、目に見えるかたちで表現されなかったり

あとで、熟成されて、気づかれたりすることもある。。

また。。

現場では、会場に姿を見せることはできず
自分の病室にいらっしゃる患者さんもいる。。

音や雰囲気だけは
病室へ流れていき
聴いていらっしゃる場合もある。

それは
音楽を届ける側には見えず
また
何を感じられたかも
知ることもないこともある。

でも
それは、とても意味あることだったりする。。


だから

音に。。ただただ心を込める。。

音を。。大事に紡ぐ。。

音が。。自分の知らないところでいいから、幸せにつながるように。。

音は祈り。。
posted by こころなび at 03:20| 東京 🌁| Comment(0) | こころの臨床 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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