2016年07月15日

心の葛藤は人間らしさ〜僕のこころの臨床論

これは、僕が師事した臨床心理の恩師から
カウンセリングや心理療法を学んだり、
教育分析という訓練やスーパーバイズの指導を受けたことや
精神科病院や福祉施設、個人面接での
多くの患者さんやクライアントさんと出会い、教えてもらった
あくまで個人的な経験からの私論なので
他にいろんな見方があることを前置きした上で、
人間らしさのある心の健康のイメージについて
書いてみたい。

音楽以外のことも。。たまには。。ね

人の人間的な心が健康な状態ってどんな感じかというと、
その人の心にたったひとつだけじゃなくて
一見自分でも矛盾したり
相反したようないろんな心があること、
つまり葛藤や迷いをもっていて、手探りでありながら
それをなんとか工夫しながらや知恵を生み出しながら
ちゃんとその葛藤や迷いを抱えていられて
悩みながらも日々試行錯誤しながら生きている…それは心の機能がちゃんと働いているってことなんだよね。

゛悩みの種゛そのもの懸命に生きているからこそあるわけで、
その存在そのものが問題なのではなく、
(それによって成長させられることもあるしね)
それをどう抱えて、どう付き合い、共に生きるか。。それが問題なんだよね。
それはひとりひとりちがう。
しかも唯一の答えはなくて、
そのひとなりに合った共存のさせ方、それが、
”生き様”といわれるものなんだろうけど
それをどんなふうに創って生きるか。。
誰かに助けられ支えられながらも。

言葉でどこまで伝わるか分からないけど。

僕も昔はそうだったんだけど、
人ってどこかなんにも動じない、
悩みも葛藤も迷いもいっさいなくなって
完璧な人だったり、
悟りをひらいた心に憧れたりして、
時にそれが究極の心の到達点に想いしがちだし、そう世間でも言われている

でも…

たとえば極端な例をいうと、

凶悪犯罪や連続殺人をする人たちの
犯罪心理学や心理的分析をした文献や論文をみたりすると、
その人の心に葛藤や迷いがない。。
たったひとつの確信をもって、悟ってしまった精神状態だったりする。
いろんな複雑な想いがそこには存在していない。
ためらいがないというか、たったひとつの完全な世界、物語で
心が出来上がってしまっている。

だから犯罪を犯すとき一線をあっさりと越えてしまうんですよね。

そこに正反対の心やさまざまな心が存在し葛藤があったりすれば
自分の中でせめぎ合い、迷いが生まれる。。
他の人の言葉で気づいたり、修正したりできる。。

また、精神科の心の病気っていろいろあるんだけど
急性期で発病したてだったり
重症な状態の場合、やはり悟ってしまった感じや
誰が何を言っても、全く受けつける余地がない
確信的な心でかたくな雰囲気だったりします。
たとえば、私は神だと主張してやまない患者さんとかね、いらっしゃったり。。
妄想が激しいとき、躁状態が強いときは
誰が何を言っても全くコミュニケーションが成り立たなくて
まるで、ブレーキが効かない車のように
自己コントロールも、周りからの静止も
一方通行で効かない状態だったりします。

よく考えてみるとね、自分に悩みや迷いが全くなかったり、
葛藤がなくていつもすっきりしてて
365日ずーと幸せな感覚ばかりだったり
すべてが完璧で悟ってしまったら
もう自己完結しているから、
他者の存在って必要なくなってしまうし
つながって交流したり触れ合ったり支え合ったりする必要もないものね(^_^;)

それに人の痛みや悩みや葛藤も分からなくなるし、感じられなくなる。。

あるお寺の住職の方が教えてくれたんだけど、
そもそも仏教で言う『無』や『空』って
一般に誤解されていて、
なんにもない状態や、完全な状態だったり、自分をなくすことじゃなくて
かぎりなく゛0.0001・・・みたいに存在する状態らしいんです。
つまりたとえていうなら、
科学でいうと、
原子のことをいうらしいんですよ。
分解して分解していって
もうこれ以上分けられないものや状態だそうです。

それは、自分の心の原点、ルーツを感じられることだそうです。

つまり、自分らしさの心のコアみたいなところ
それを、「たましい」や「いのち」と表現する人がいるんだと思いますが
それを感じれること。。
それが本来の意味だとおっしゃっているように
ぼくには感じられました。

僕は
そのひとつひとつのさまざまないくつもの原子が集まって心が構成されていて
それの構成の仕方にひとりひとりの個性があるんだなあって感じています。

だからね、悩みや迷い、劣等感や弱さや葛藤があって
自分の中にいろんな心が存在してること
(中には自分でも認めたくない部分も含めてね)
そのものは、
人間的で心が健康な証拠なんだよってことになるんだよね(^_^)

だから、僕は、なんでもパーフェクトな人よりも
弱さもあって葛藤があって悩みながらも
精一杯生きている。。そういう人の方が人間らしくて
ほっとするし、好きです。

ただ心の健康が良くない状態になると
そのひとつひとつの心のバランスが崩れて
混乱して収集つかない状態が続いていてたり、
その時期の自分の傾向に合わないような状態に無理やりしたり
葛藤を抱えていけないくらい
何かに追い詰められたりしているとき
症状というかたちで
SOSのサインを無意識レベルで知らせようとしてくれる
機能なんですよね。

だから自分のもうひとりの無意識の内にある
心の声に耳を傾けてあげる必要があるんですよね。

精神症状の多くは、
見た目や現れかたは千差万別でバラエティに富んでるけど
元々の自分に合わない生活スタイルの環境にずっと長いあいだ無理やり身を置いたり、
自分に合わない生き方を突き進んだりしているとき
これ以上続けると限界を越えるから
気づいて見直してほしいときの内なる自分の手紙みたいなものだと理解してみると
方向性がみえやすいんですよね(^_^)♭

だからね、僕の個人的な経験のなかでは
紆余曲折いろんな問題はありながらも
生活環境の調整だけでも
かなり精神症状や心の状態が回復した人が
多くいらっしゃいました。

必ずしも心理療法やカウセリングで直接心を扱わなくても。

自由連想風になったけど
もしかしたら矛盾してきこえるかもしれないけれど
葛藤や迷いや悩みを抱えながら
試行錯誤しながら生きていることは
人間の心が健康な証拠で、
またそれが僕には豊かな人間性の可能性にも
つながっている気がしています。
posted by こころなび at 02:35| 東京 🌁| Comment(0) | こころの臨床 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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