2016年02月27日

心の健康について〜僕の根本にある臨床心理論

臨床心理について、

たまにはめずらしく・・ちゃんと語ってもいいかと(笑)
あくまで定説とはいえませんが(笑)

いろんな見方や理論、経験をもつ人いますからね。

僕の場合は

師事する臨床心理士の先生との学びの中で

そして何より

これまで出会った多くの患者さんや

個人依頼でお引き受けして、

カウンセリングをしてきた

クライエントさんたちから学んだことでもあります。

では…

人の人間的な心が健康な状態ってどんな感じかというと、

その人の心にたったひとつだけじゃなくて

一見自分でも矛盾したり

相反したようないろんな心があること、

つまり葛藤や迷いをもっていて、手探りで悩みながらも、

それをなんとかかんとか工夫や知恵を生み出しながら

ちゃんとその葛藤や迷いを抱えていられて

悩みながらも日々試行錯誤しながら生きている…それは心の機能がちゃんと働いているってことなんだよね。

゛悩みの種゛そのもの生きているからこそあるわけで、

その存在そのものが問題なのではなく、
(それによって成長させられることもあるしね)

それとどうつきあうのかが
問題なんだよね。

それは微妙にひとりひとりちがう。

しかも唯一の答えはなくて、

だからマニュアルは作れなくて

その人が生み出すオリジナルなもの。
誰かに助けられ支えられながらも。

言葉でどこまで伝わるか分からないけど。

僕も昔はそうだったんだけど、

一般的には

人ってどこかなんにも動じない、

悩みも葛藤も迷いもいっさい無い完璧な人だったり、

悟りをひらいた心に憧れたりして、

時にそれが究極の心の到達点に想ってめざしたりする人、

多いけど…

たとえば極端な例をいうと、

凶悪犯罪や連続殺人をする人たちの犯罪心理学や心理的分析をした文献や論文を読んでいると、

その人の心に葛藤や迷いがないんだよね。。

たったひとつの確信をもって、まるで悟りの境地みたいな心になってしまっている。

いろんな複雑な多様な想いがそこには共存していない。

ためらいがないというか、たったひとつの完全な世界、
そんな心が構成されているように感じます。

だから犯罪を犯してしまう一線をあっさりと越えてしまう。

そこに正反対の心やさまざまな心が存在するなら

ためらったり、想い留まったり、心と心がせめぎあったり

他の人の言葉ややりとりなどで修正したりできる可能性もあるけど。。

そう、修正したり他の可能性があるには
心にその余地がないとだからね。

また、精神科の病気っていっぱいあるんだけど

急性期で発病したてだったり

重症な状態の場合、やはり悟ってしまった感じや

誰が何を言っても、全く受けつける余地がない確信的な心でかたくな雰囲気だったりします。

たとえば、私は神だと主張してやまない患者さんとかね、

妄想が激しいとき、躁状態が強いときは

誰が何を言っても

全くコミュニケーションが成り立たなくて

一方通行な状態だったりします。

もし自分に悩みや迷いが全くなかったり、

葛藤がなくていつもすっきりしてて

365日ずーと幸せな感覚ばかりだったり

すべてが完璧で悟ってしまったら

もう自己完結しているから、

他者の存在って必要なくなっちゃうし

つながって交流したり触れ合ったり支え合ったりする必要もないものね(^_^;)

それに自分以外の他者の痛みや悩みや葛藤も分からなくなるし、
感じられなくなる。。

あるお寺の住職の方が教えてくれたんだけど、

そもそも仏教で言う『無』や『空』って

一般に誤解されていて、

なんにもない状態や、完全な状態だったり、自分をなくすことじゃなくて

かぎりなく゛0.0001・・・みたいに存在する状態らしいんです。
つまりたとえていうなら、

科学でいうと、原子のことをいうらしいんですよ。

分解して分解していって

もうこれ以上分けられないものや状態だそうです。

『【無】や【空】とは、
自分の心の原点、ルーツを感じられることが本来の意味』

だとおっしゃっていました。

僕は
そのひとつひとつのさまざまないくつもの原子が集まって心が構成されていて

それの構成の仕方にひとりひとりの個性があるんだなあって感じています。

だからね、悩みや迷い、劣等感や弱さや葛藤があって
自分の中にいろんな心が存在してること
(中には自分でも認めたくない部分も含めてね)

そのものは、
人間的で心が健康な証拠なんだよってことになるんだよね(^_^)

ただ心の健康が良くない状態になると

そのひとつひとつの心のバランスが崩れて

混乱して収集つかない状態が続いていてたり、

その時期の自分の傾向に合わないような状態に無理やりしたり

葛藤を抱えていけないくらい

何かに追い詰められたりしているとき

人間の心は、”症状”というかたちで

SOSのサインを無意識レベルで知らせようとしてくれている
大事な機能なんですよね。

だから自分の中の

もうひとりの無意識の内にある心の声に

耳を傾ける必要があるんですよね。

精神症状の多くは、

見た目や現れかたは千差万別でバラエティに富んでるけど

元々の自分に合わない生活スタイルの環境にずっと長いあいだ無理やり身を置いたり、

自分に合わない生き方を突き進んだりしているとき

これ以上続けると限界を越えるから

気づいて見直してほしいときの

内なるもう一人の自分からの手紙みたいなものだと理解してみると
方向性がみえやすいんですよね(^_^)♭

だからね、僕の個人的な臨床経験のなかでは

紆余曲折いろんな問題はありながらも

生活環境の調整だけでも

かなり精神症状や心の状態が回復した人がいらっしゃいました。

必ずしも心理療法やカウセリングで直接心を扱わなくても。

だから、葛藤や悩みを簡単に解決してしまうみたいな種類の
心理療法やカウンセリングや、セラピーの類は

一時的には、楽になった気になる場合があるけれど

本質的には、心にとってもっとダメージを与えることになってしまい

しばらくすると、副作用が出て、心の不健康状態に戻ってしまうことがある。。

自由連想風になったけど

葛藤や迷いや悩みを抱えながら

試行錯誤しながら生きられるってことが

心が健康な証拠なんだってこと。。

またそれが僕には

心の世界が豊かに育っていく可能性にもつながっている。。

そう感じます。

だから、心の悩みや葛藤を無くすようにするのではなく

それを抱えることができるように

臨床家は、その人の心に寄り添い、心のそばに居て

サポートしていくことが

心の健康のための臨床の姿なのだと、想っています。
posted by こころなび at 09:23| 東京 ☀| Comment(0) | こころの臨床 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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